東北地方太平洋沖地震のボランティア公演・1

2011年3月11日14時46分、
日本の太平洋三陸沖で最大震度7という大きな地震が発生した。
TVやネットで被害の凄まじさを見て震え、多くの犠牲者に心が傷み
しばらく生活が普通に出来なかった。

すぐ被災地へ行って私の技術で被害に苦しむ子どもたちのサポートをしたいと強く思った。
しかし今はその時期じゃないと説得され、
現に自分の置かれる状況をみたら難しいのは明らか。
祈るようにの寄付金をする一方、
いつかそのチャンスが来たら絶対に手に入れたいと思っていた。
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アートムジカの代表、田中美江先生(ピアニスト・純真短期大学教授)の
「被災地支援にアートムジカで公演したい。私のわがままを聞いて欲しい。」
の声に飛び上がる思いで承諾。
日本保育協会岩手県支部の支部長の稲村先生、青年部部長の七役先生、たくさんの関係者の皆様の厚いお力添えでそれが実現した。
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左が稲村先生、後方に七役先生。
8月22日〜26日、沿岸沿いを久慈市、宮古市、釜石市、大槌町、大船渡市と南下しながら、6つの保育園と保育園長会全7公演に同行してくださいました。
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その間、現状を見て伝えて欲しい、その言葉にシャッターを切る。震災から5ヶ月経過した風景。
草原かと思った大きなエリアは元住宅地。雑草は強いねと話す。
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保育園園舎、地震は春を待つまだ雪の降る時期に起きた。子どもたちは今別の場所で保育を受けています。
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あまりの光景の連続、
点いていない信号機の下では警察官が旗で整理をし、行方不明者の捜索現場の横を通りました。

震災直後、
家に帰れない保育園の子どもたちと1日1つのパンを4人で分けてしのいだこと、
子どもたちを避難させようと保育園の先生が急斜面をひとりひとり抱えて登り途中出逢ったご老人方は流されてしまったこと、
身内の方が亡くなられ仮設住宅より通う先生のこと、
一刻も早く震災復興支援を国に陳情書を提出し続けて努力していること、
まだまだ必要なボランティアの数が減っていること…


犠牲者に手を合わせながら、
今回の公演の意味を改めて考えました。正直心が折れそうだった公演初日。
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・・・東北地方太平洋沖地震のボランティア公演・2に続きます。
by makisunsun | 2011-09-17 11:50 | artmusica
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